2016年5月31日火曜日

西洋美術史実地研修1 第二回

西洋美術史実地研修1の第二回目は、こちら、
イタリア南部ポンペイの古代遺跡、
ではなく、こちらの展覧会。
 
一世紀後半にヴェスヴィオ火山の噴火によって壊滅したポンペイとその近郊都市エルコラーノの遺跡から出土した壁画の展覧会。
本学の「海外実地研修」ではイタリアなどの美術館・博物館、史跡を訪れるプログラムがあり、「西洋美術史実地研修1」に参加している学生さんのなかには、つい最近、ポンペイの遺跡そのものを訪れた学生さんも。
でも、実は、ポンペイの壁画は、現在では保全のためポンペイではなく、主にナポリの国立考古学博物館に収蔵されています。そのため、遺跡を見に行った学生さんも今回の展示品は初めて見るものばかり。
いつものように事前学習で準備したレポートにそって発表。
 火山灰により埋没した二つの都市の遺跡は18世紀に発見され、それによって古代絵画の魅力が明らかになったことで、新古典主義様式という芸術様式が生まれることになります。
ポンペイの壁画の様式の移り変わりについてもしっかり調べてきたので、鑑賞前の準備は万全でしたね。

今回の展示では、エルコラーノ遺跡から皇帝崇拝の神域を飾った神話画やポンペイの農園別荘の食堂の壁面全体を彩った壁画など、大型の壁画が見所のひとつ。 
もともと設置されていた場所を再現するため、立体的に展示されていることで、当時の古代ローマの人々がどのような空間で過ごしていたのかがよく学べたのではないでしょうか?
 (公式サイトに展示風景の写真が掲載されています。http://www.tokyo-np.co.jp/pompei/160523.html

さて、昼食を済ませてから午後は、同じく六本木の国立新美術館へ。
  
こちらでは、午前中とは1800年の時を下って、印象派の画家ルノワールの展覧会。 
目玉作品はこちら《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》
目玉作品については会場内でかなり丁寧な解説がされているので、事前学習では、会場内でまったく解説がされていないルノワール初期の代表作《陽光のなかの裸婦》や、展覧会最終章のテーマに合わせて、ルノワールが再び裸婦像を精力的に描き始める1880年代における裸婦像について調べてきてもらいました。
 
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》については、作品の舞台となるモンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット、当時の様々な場における舞踏会の様子など他の画家の作品や、当時の写真、加えて画家の次男ジャンの映画から抜粋したダンス・シークエンスの映写などが行われており、より作品の理解が深める展示の工夫がされていましたね。
 
 会場を出ると、印象派の風景に出てきそうな色とりどりの花々や、木陰で憩う人々の姿が。
 
今回は同じ六本木で、かなり時代を隔てた作品を見てきましたが、ルノワールは1880年代にポンペイを訪れて、その壁画に触発されて晩年の裸婦像を描いたとか。芸術の長い歴史のなかでの意外な繋がりを感じ取れたのではないでしょうか。 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿